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− サバ神社 −
2001年5月20日
その1
サバ神社とは
神奈川県の境川流域には、「サバ」と発音する神社が12社あります。
漢字では、鯖、佐波、左馬、左婆、などと書きますが、いずれも「サバ」と発音します。
源義朝(左馬頭=さまのかみ)を祀っているのが9社、源満仲を祀っているのが3社です。
左馬明神社(藤沢市西俣野)…源義朝
鯖神社(藤沢市今田)…源義朝
七ツ木神社(藤沢市高倉)…源義朝
佐波神社(藤沢市石川)…源義朝
左馬神社(大和市上和田)…源義朝
左馬神社(大和市下和田)…源義朝
左馬神社(横浜市瀬谷区橋戸)…源義朝
飯田神社(横浜市泉区上飯田)…源義朝
左馬神社(横浜市泉区下飯田)…源義朝
左馬神社(横浜市泉区和泉中宮)…源満仲
左婆神社(横浜市泉区和泉神田)…源満仲
鯖明神社(横浜市泉区和泉鍋屋)…源満仲
*七ツ木神社と飯田神社は元サバ神社だったのが、後に土地の名前の神社に改称したのだそうです。
しかし、サバ神社の由来や、この地域に集中する理由についてはよく分からないそうです。
参考資料:
「鯖神社の由来」
「サバ神社探究」(藤縄勝祐氏)
「戸塚くるぶ-歴史と風土の道しるべ」(郷土戸塚区歴史の会・戸塚区役所。1983.3.10発行)
…戸塚区(分区前。現在の戸塚区、泉区、栄区)の散策の手引書
「源義朝を祀る サバ神社その謎に迫る」(江本好一。2000.11発行。武田出版。\1400)
その2
ひょんなことからサバ神社廻りを始めることになりました。
「戸塚くるぶ」(分区前のもの。現在の戸塚区、泉区、栄区の史跡を網羅している)という資料を何気なく見ていたら、サバ神社4社(鯖神社、2つの左馬神社、佐婆神社)が境川と和泉川の流域の狭い範囲にあることに気がついた。
「これは一体なんだろう?」
そんなわけで、5月5日の11時頃家を出て地下鉄に乗り、「下飯田」駅に降り立った。
持ち物は、「戸塚くるぶ」と「ビジネス文庫 神奈川マップ」。
2001.5.5(土) 鯖明神社(横浜市泉区和泉鍋屋)→左馬神社(横浜市泉区下飯田)→左馬神社(横浜市泉区和泉中宮)
「ビジネス文庫 神奈川マップ」は1992年版なのでまだ地下鉄の「下飯田」駅が書かれていない。しかも、縮尺が1:39,700なので詳しいところがわからない。「戸塚くるぶ」の地図はもっと大雑把だ。それでもこの2つを頼りに、「下飯田」駅から東へ進み、草木橋で和泉川を渡る。そこから右にカーブしながら南へ行く道を歩く。のどかなところだ。
バス通りを横断して更に南へ進む。もうそろそろこの辺ではないかというところで左に杜があるようなのでそちらへ行く。行ってみたら民家の庭だった。立派な庭だ。またもとの道に戻ろうと西への道を通るとこの道の北側には実に立派な生け垣がある。高さが10m、横幅が50mもあろうかという生け垣である。しかも屏風のように刈り込んである。
元の道に戻って南へ少し行くと土地の案内図が掲示してある。鯖神社は一筋西側の道の方のようである。案内図に従い西への道を行くが途中で行き止まり。もう一度戻って再チャレンジ。道なき道を無理やり通り抜けて西へ向かう道路に出た。少し行くと一筋西の道路、和泉川をすぐ西に見る道路を南下して途中で民家の人に道を尋ね鯖神社にたどりついた。
鯖神社は殺風景な感じだが、どこかほっとする。賽銭を入れ、柏手。
次は下飯田の左馬神社。和泉川に沿って北へ進み草木橋からいったん「下飯田」駅に戻り、さらに西に少し行って相鉄線「ゆめが丘」駅へ。ここで案内地図を確かめて、「なしの木学園」方面へ。南北に走る車道に出て北方向に進むが、なかなかそれらしいところに行けない。西に入る小道を進み境川沿いに出るが、どうもおかしい。北に来すぎたようだ。橋の名前は「高飯橋」。川の下流側を望むと、遥かに見えるのが「なしの木学園」ではなかろうか。川沿いに下って次の橋の所を東に折れれば目指す下飯田の左馬神社と期待していたら、川沿いの道がもう少しのところで工事中につき通行止め。う回路は田のあぜ道。何とか通って、下飯田の左馬神社に到着。なかなか判りにくい所にある神社である。ここでも賽銭を入れ、柏手。そして次なる中宮の左馬神社に向かうべく前の道路を北に向えば、ほんの1分ほどで最初に車道に出た所に。「なーんだ、北に行かずに南に向えばすぐだったのか」
車道を北に進み、さっきの「高飯橋」を西に見る位置で東に曲がる。まっすぐ東に行きたいのだが、途中で道が南に曲がっている。しかもどんどん深い森に入っていくようで東側にいけそうにない。曲がり角に戻って、民家の庭に入るような階段を下りていくことにする。どうやら庭ではなく道ではあるらしい。少し行くと新しい住宅地に出た。さらに東へと進み、相鉄線の高架を過ぎたところに中宮の左馬神社があった。大きな舞台もある立派な社だ。しかし賽銭箱がない。それに神社名を示すものもない。
少し東に行くと和泉川に出る。これを上って、相鉄線「いずみ中央」駅に向う。途中川の東側にまた大きな屏風のような生け垣のある建物を見る。
「いずみ中央」駅の駅ビルで遅い昼食を食べる。午後3時半である。もっと早く昼食をとりたかったのだが、これまでそんな店がひとつもなかった。
最後に和泉神田の左婆神社に行く予定だった。しかしこの日は結局見つけられなかった。「戸塚くるぶ」の「和泉」地区の地図では和泉川の東に書いてあるのに、実際には西側だったからだ。隣接して書かれている正法寺を探し、その周りを調べたが、だめだった。
今日はこれまでと、家路に向かう。地下鉄「立場」駅まで歩いて、地下鉄で帰った。午後6時着。
その3
もう少しちゃんと調べることにしました。
インターネットで調べました。サーチエンジンで、
を見つけ、「その2」の4社だけでなく境川流域を中心に全部で12社あること、これら12社のサバ神社の由来は源義朝を祀ったことから始まったとされているがその意味するところが不明であること、12社がこの地域に集中する理由がはっきりしないこと、などがわかりました。
さらに、
「源義朝を祀る サバ神社その謎に迫る」(江本好一。2000.11発行。武田出版。\1400)
という本が出版されていることも知りました。近所の本屋で探しましたが、置いていませんでした。戸塚図書館にもありませんでした。泉図書館、鶴見図書館などには置いてあることが分かりましたが、結局インターネットで注文し5月12日に手に入れました。一気に読んだ感想は、
この本の結論は、
沢の祠(洪水からの守護)→源義朝(左馬頭)→鯖神社(病気の治癒)
という変遷があったということ。
しかし私は、
という変遷は音韻的に無理。あるとすれば
か又は
であろうと考えます。
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