出発は9時半頃。戸塚バスセンターまで歩いて、10:03発ドリームハイツ行きのバスで「ランド坂下」下車。10時半だ。少し戻って別のバス通りを南へ西へと歩く。福泉寺前、観音堂前を過ぎ、境川を渡って次の信号を左へ。少しはいると西俣野の左馬明神社らしき祠が左側に。でもそれと分かるような証拠は見当たらない。
それでも、「源義朝を祀る サバ神社その謎に迫る」(江本好一)の記述「西俣野837(日向分) 民家の庭先にあるような姿で僅か七軒の氏子によって守られているのみである」とは一応一致する。しかし、「鯖神社の由来」の記述「西俣野の集落から、丘に登りかけたところに小さな鳥居が見えます。昔、「若宮坂」と言われた古道ですが、現在では忘れられかけたような細い道です。木立の入り口の鳥居をくぐると、急な石段があり、その頂上に祠があります。小さな神社ですが、「村の鎮守さま」という雰囲気を残している、今では珍しい神社です」とは一致しない。この記述に従えば、むしろ「花応院」の後ろの丘にあるのかもしれない。なお、「サバ神社探究」(藤縄勝祐氏)では、「西俣野字御所ヶ谷 個人持ちのごく小さいもので、稲荷神社と呼ぶ人もいます。旧家の庭の片隅にまるで堆肥小屋のような感じでたたずんでいます」とあり、字名以外は江本さんの記載と符合する。 |
バス通りに戻って石川の佐波神社に向おうと思ったが、「花応院 閻魔大王像・小栗判官と照手姫絵巻」の標識に引かれそちらに向う。寺内に入ると男性の一団が…。その集団と入れ替わりにお堂に上がろうとしたら、男性の一人が「そこは入ってはいけないよ。入ると怒られるよ。私らは許可を得て特別に入れてもらったんだが」とのこと。「わかりました」と恐縮しながら寺の脇の細道を西へと進む。バス通りを横切って更に細道を進むが、途中で地図にはない立派な道路に出会う。どうやら地図ができた後に新たな道路ができ細道が拡幅されたらしい。そのまま西に進んで、南北に走る大通りに出る。少し北に行き「紳士服のアオキ」の南側の道路を西へ。新しい住宅地を過ぎ、小田急の踏切りを渡り、日大農獣医学部藤沢校舎と日大藤沢高校の敷地を通り抜け、日大の牧場を左に見ながらまた新しい住宅地を行く。天神公園でトイレ。実はずっと行きたかった。天神社もお参りして、更に西へ進み引地川を渡る。坂道を登ると右側に石川の佐波神社がある。よく手入れされている。 |
ここから小田急湘南台駅方面に向け引地川に沿って歩くことにする。川では釣りをする人、餌を求めてやってきた白い鳥(コサギ?)を見ながら、やがて住宅地に入り、東に折れて湘南台駅前のビルで昼食。魚がしランチ880円。午後1時から1時半。
小田急線を地下道で横断し、湘南台公園の南側を通って今田の鯖神社へ。湘南台幼稚園の前の道から入れるかと思ったが、その道は行き止まり。南側のテニスコートの南の道を迂回して、今田の鯖神社にようやく到着。立派な鳥居と参道に期待したが、本殿はなんと今年の3月1日に若者の放火により消失との張り紙。辺りの説明を見ると平成9年に再建したばかりの新しい建物が消失したらしい。来年もう一度再建の計画がある。 |
今田の鯖神社を後にして、七ツ木神社に向かう。境川の西岸沿いのサイクリングロードを北に進む。対岸の前方には「なしの木学園」が見える。上原公園のところでサイクリングロードから外れ、左の道を行く。この辺りには防風のためだと思うが、お屋敷や畑を背の高い生け垣で囲む姿が身につく。程なく前方の雑木林のような杜に鳥居が見える。七ツ木神社に到着である。 |
また、サイクリングロードに戻り北に進む。5月5日にうろうろしていた辺りが対岸に見える。高鎌橋で長後街道に入り東へと行く。和泉川のところで川の西岸沿いを北へと進む。神田橋の少し先、「まぐろ」の幟のある魚屋の前を西に曲がって突当りが、5月5日に見つけられなかった和泉神田の左婆神社である。鳥居をくぐり石段を登って境内に入る。すぐ裏に相鉄線の高架が見える。 |
和泉川西岸に戻り北へ「宮下橋」(持っていった地図では「富下橋」となっていた。地図の誤りか、あるいは別の理由があるのか)の少し先まで進み西への道に入る。栗原鉄鋼の先で突当って右に曲がりすぐまた左に曲がる。ほぼ道なりに西進し、バス通りに出る。通りを渡ると上飯田団地だ。上飯田団地の西側の境界道路に沿って南に進み上飯田小学校の裏手にあたる辺りから西に向う細い道を行く。前方やや右には高層のいちょう団地が見える。バス通りに出たところで北に向きを変え、すぐに飯田神社に着く。奥にあるのは地域の集会所か。女性たちがせわしく動いていた。 |
バス通りを更に北へ進み、次の角を西に折れる。いちょう団地を目の前にして新緑橋にて境川を渡る。境川西岸を北へ。いちょう団地のど真ん中を歩いている。緑橋のところでバス通りに出る。左に少し行くと「スーパーOK」前の道がある。ここを通った突当りに立派なお屋敷がある。門の遥か向こうに大きな長屋門があり、解説板らしき物があるが、判然としない。中に入るのも失礼と思いそのまま右折、すぐ左折して坂を登る。道が少しうねった辺りの右側に石段を登って下和田の左馬神社はあった。さてここで午後4時半。次へ進むか「高座渋谷」駅に出て帰るかちょっと考える。 |
結局次へと進むことにし、一筋西の角を右に曲がり、新幹線の線路を渡りひたすら北へと進んだ。上和田団地を右に見て、薬王院を左に見て、県立大和高校を右に見て、鹿島建設の機材センターを左に見て、やがてその道の先に鳥居が見えた。上和田の左馬神社である。 |
上和田の左馬神社の西側の道を北へ行くと中原街道に出る。中原街道を東進すると境川を渡る橋がある。新道大橋という。橋の手前の和菓子屋さん、酒屋さんの誘惑に負けずにそのまま東進し、宗川寺の手前で北への小道に入る。200mほど入ったところで右折し、すぐに左折。住宅地をまっすぐ北へ進みしばらくして最後のサバ神社瀬谷の左馬神社に到着。午後5時。宮司が常駐する唯一のサバ神社という。なるほど本殿も立派である。 |