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短編随筆シリーズ「うつせみ」より代表作 Photos of flowers, butterflies, stars, trips etc. '96電子出版の句集・業務記録

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八ヶ岳三井の森からの行動半径の補足説明(3) 2001

前頁(説明(2.5))

清里周辺

清里駅下の清里銀座は夏は雑踏の賑わいとなる。中央高速と清里を結ぶ国道141号線沿いに観光施設が多い。

清里銀座の南端からJR小海線の踏切を渡って山側に上ってすぐ、左側に清里北沢美術館がある。諏訪湖畔にある美術館の兄弟分で、Artnouveauのガラス工芸がロマンチックで若い女性に人気がある。この道を更に上ると、右に清里の森という別荘地・観光施設がある。外来者は有料駐車場に入らなければならないのがしゃくだが、結構遊べる。別荘地の中には山口百恵のお姉さんがやっていたペンションVillaVerduraがあっが、最近やめたとかいう噂を聞いた。観光施設としては工作教室、作品展示即売店、お土産物店、音楽堂、散歩道など。

更に上ると美し森に達する。県営駐車場に駐車してヤマツツジが6月には美しい美し森展望台に登れば、富士山、南アルプス、八ヶ岳が絶景である。神事のための「斎(いつき)の森」であったのが「美し森(うつくしのもり)」になったという。おおかた明治時代に地図を作って地名を聞き取っては勝手に漢字化していった陸軍測量部の仕業であろう。美し森の交差点から更に上ればスキー場Kitzに達する。夏には高山植物鑑賞のリフトとなる。美し森交差点から南西に伸びる道は八ヶ岳横断道路である。1kmほど先のT字路から下れば、清里発祥の清泉寮がある。なぜかここのソフトクリームに長蛇の列ができる。清泉寮のお土産品もある。季節にはレンゲツツジ、ライラック、大木のドウダンの花が美しい。10月第3日曜と前日にはPaul Rusch祭・清里County Fairが行われ多数の出店がある。1/2が食物店、1/3が工芸品店、残りが清泉寮を開いたPaul Ruschの出身地Kentuckyからの出展だ。

八ヶ岳横断道路を更に南西に行くと、渓谷美が名高い川俣川東沢の橋を渡って、県営八ヶ岳牧場の敷地を横断する。ここにまきば公園が整備されていて、広い牧場で動物と触れ合ったり草原に寝転がったりができる。東から南にかけて大きく開けた場所なので、星空の観測には理想的な場所である。

さらに1 kmほど行った四つ角を大泉駅方向に数百米下れば、俳優の柳生博氏が経営する八ヶ岳倶楽部がある。柳生氏と奥様、二人のカッコ良いご子息と御家族が総出で運営しておられる。レストランと調度品店と催場の3棟および遊歩道からなる広い敷地である。レストランではスパゲティ、店では化粧石鹸がお奨め。柳生氏は暇さえあればここに顔を出している。氏が出版された本を買うと著者としてサインして貰えるが、時々は遠慮の無いおばさま方がハンカチにサインして貰っているのも見かける。ご家族も従業員もなぜか美男美女揃いで、しかもプリンスホテル並に客をもてなすことを心得ている。例え柳生氏の看板がなくてもここは繁盛する店であると確信する所以である。

四つ角を大泉駅方向とは反対に山の方に車で上ると、天女山山頂展望台に至る。南東方向に開ける展望、ドウダンの大木群、美し森へのハイキングコースなどがある。

清里ではないが、下の方の別荘地に秋篠宮紀子妃殿下の御祖母川嶋紀子(「いくこ」と読む)雲の絵美術館がある。須玉ICから清里に向かう国道141号の長沢交差点からから長沢・小淵沢線に入り、約2 km行った辺りの右側の案内図で見て山側の別荘地に入ったところにある。逆に清里から清里・大泉線の有料道路を下り、料金所を過ぎてすぐ左折して1km辺りで道を聞くこと。なお1998/6開通のこの清里・大泉線は川俣川の渓谷美が堪能できる風光明媚な道である。

八ヶ岳北麓

八ヶ岳北麓は浅間山南麓でもあり、天気のよい日には噴煙を望める。八ヶ岳三井の森から行くには、清里・佐久経由の国道141号線、国道299号線で麦草峠から八千穂に出て佐久を回る道、女神湖から下る道、大門峠からの道、和田峠を越える道、と色々あるが、ドライブそのものを楽しむつもりで出かけないと大変である。

軽井沢の追分から望月、立科町の芦田、長門町の長久保、和田と中山道が続き、和田峠に至る。町ごとに本陣・脇本陣などの宿場の名残があり、一部松並木が残る。 しなの鉄道大屋駅南東に、追分で中山道から分かれて上田に向かう北国街道の海野宿があり、650mにわたって雰囲気のある宿場町が、清流沿いの街道の両側に維持・復元されている。海野宿から18号線経由で望月町に行こうとすると常田の交差点を南下しすぐ東に向かい徐々に南に進む。しなの鉄道のガードをくぐってすぐ左に蜂天国がある。駆除を要請されたスズメ蜂の巣を持ってきてココゾと思う所に置くとその場所に巣が成長する。こうして160個の巣の集合体で3.776mの富士山を作ってGuiness Bookから最大の蜂の巣と認定されたり、その他600点のスズメ蜂の巣が展示してある。 日本ロマンチック街道というのもある。ドイツのRomantischeStrasseは「ローマ街道」の意味だったが日本人にはロマンティックに聞こえて有名になった。ドイツ人は意外に知らない。ローマにはつながっていない日本ロマンティック街道は、小諸から浅間山の東を経て国道145号線から長野原、中之条、沼田を経て金精峠から日光に至る道で、実は両端の他にはそれほど観光施設がある訳ではない。

軽井沢と周辺の観光はここでは省略し、浅間山の溶岩の鬼押出が石楠花(しゃくなげ)を初めとする植生に恵まれて一見の価値があることに言及するに止めよう。

小諸城址は、千曲川に面した断崖の上に位置し、小諸城の石垣を残す緑豊かな自然公園「懐古園」になっており、島崎藤村の筆跡で「小諸なる古城のほとり...」の石碑が川を見下ろす展望台にある。藤村記念館に拓本の縮小版がある。「遊子かなしむ」の次は何だっけと読めなかった人は早速藤村の詩集を買うことにしよう。藤村がこの地に教職を得た頃を思い、「破戒」を読み直そう。川を渡って少し下流の断崖を上れば、崖にかじりつくように布引観音があり、千曲川のもうひとつの展望がある。「牛に引かれて善光寺」という言葉は知っていても意味を知らぬ人が多い。小県(ちいさがた)郡の不信心のおばあさんが、千曲川で布を晒すうちに牛が布を角に引っかけて走り始め、追いかけて善光寺に参詣してからは良いおばあさんになったのだそうだ。小県郡とは上田市の辺りだから、牛もおばあさんも丁度マラソン程度の距離を追いかけっこしたことになる。ところがこれと全く同じ伝承がこの布引観音にもあり、その故に布引と言うのだそうだ。

芦田の近くの茂田井という中山道沿いの小さな町に、古い大きな造酒屋があり、酒造資料館を称していたが、これに絵画展示室が併設された。日本酒の味比べができる。

上田は中山道から分かれた北国街道の宿場町である。国道18号線沿いに広大な信濃国分寺史跡公園と資料館がある。真田氏が築き徳川軍を2度も退けたという上田城址は桜で有名である。上田市の南西8kmに鎌倉時代の美しい社寺が並ぶ北条氏ゆかりの塩田平があり信州の鎌倉と呼ばれる。周辺には国宝・重文が多い。

高遠

諏訪から高遠に行くには、中央高速伊那ICから入るか、茅野から杖突峠を越えて行くかである。時間的にはほぼ同じだが、後者は峠からの八ヶ岳の展望が素晴らしく田舎をドライブしたという満足感がある。但し花見の時期には高遠町近くで糞詰まりとなるから中央高速の方がよい。

高遠城址の桜を見てない人は一度見た方がよい。天下一の桜を称している。まだ雪の残る仙丈ケ岳木曽駒ヶ岳を背景に見る桜は見事と言う他はない。一般に桜の名所が商業効果を考えて何種類かの桜を植えてあることが多いのに対して、ここでは城址全体がコヒガンザクラで、多少日当たりの関係で遅い早いはあるが大きくは一斉に咲くから見事だが、花の時期が短い。年によっては或る週末では早すぎ、次の週末では遅すぎたこともあった。電話で聞いて行くのがよい。年にもよるが、4月半ばから末までの間の数日間である。観光協会は0265-94-2551。

車でないと行けないし、車で行くと花見時期の休日は渋滞する。朝早く行くのがコツで、しかも市街地に突っ込まずに三峰川の南岸を行くのがよい。伊那ICも混むから、要領のいい人は北伊ICで下りる。あれだけの桜が紅葉すれば秋も奇麗だろうと思ったら大間違い、ここの桜は紅葉せずに落葉する。

桜以外では、城の南側に新しく立派な高遠美術館がある。さらに下ったダムの近くには、徳川将軍の大奥女中の勢力争いに敗れ密通の罪名で流されてきた絵島が暮らした絵島囲屋敷、そのすぐ近くに青が美しい陶器の高遠焼の桜窯、少し上には漆器の宮原店がある。郷土資料館には城を中心とした歴史的な展示がある。

伊那

天竜川が作った伊那谷は木曽川の木曽谷と平行に走るため古来からライバルであった。8世紀の東山道が伊那谷を通ったこともあったが、中山道も中央線も木曽谷を通った。中央高速は伊那谷を通り、このルートの最大の欠点であった恵那山を8kmのトンネルで貫いた。

木曽駒ヶ岳は伊那谷からの方が交通が便利である。駒ヶ根ICで中央高速を下りて、マイカー規制のためバスとロープウェイを乗り継ぐと千畳敷に達する。氷河で掘り込まれたカール地形に高山植物が咲く。

天竜川下りは年間を通して行われている。飯田に近い弁天港から天竜峡までと、天竜峡から下と、2コースある。上流は車の回送付き、下流は列車で戻る。下流の方が景色がよい。

松川ICを下りて天竜川の反対側の山に深く入り込んだ所に豊丘村堀越部落がある。その区民会館で9月下旬から10月下旬にかけて「まつたけ観光」の名で「松茸を食った」満足感が得られる松茸料理が振舞われる。0265-35-5256で予約のこと。

飯田のリンゴ並木通りは有名である。5月連休には白い花を一杯につける。リンゴの花を見るなら松川ICを下りた所が最高である。10-11月にはリンゴもぎも出来る。飯田の南、松川の北に接する飯島町では花を町のセールスポイントにしているが、特に10月中旬のコスモス祭では3百万本、信州一のコスモスの花を誇り、鋏を貸して自由に摘み取らせる。

5月連休には、飯田の周辺に藤の名所が多い。豊丘村の泉龍院の三色藤、喬木村阿島の安養寺の大藤、飯田市の南にある開善寺の藤と牡丹はいずれも素晴らしいが、駐車に苦労する。同じく5月連休に、飯田市の南に位置する時又駅の少し南にある保寿禅寺の石楠花(しゃくなげ)が庭一杯に咲く。250年前から自生していたのを保護育成したもので、古い木は百年以上という。

飯田の北には元善光寺がある。善光寺を創建した本田善光の故郷である。浪速で水中から飛び出して善光に背負われたご本尊を故郷に持ち帰り臼の上に安置してお祭りしていたが、お告げによって長野に移転したという。それで元善光寺という訳だが、長野より鄙びた趣がある。善光寺は全国にあるが、長野市の善光寺と、甲府市の甲州善光寺、それにこの元善光寺が格式を誇る。3寺同時に丑と未の年の5月に御開帳を行う。

飯田ICから256号線を東南に進み南側に入った山の中に、1998年に伊那谷道中という名のテーマパークが出来た。宿場町を模した伝統民芸体験+歴史展示+地元産品販売の町である。販売したい本音がやや目立つ。153号線を南下した治部坂峠のスキー場の商店街の一角に治部坂美術館がある。土産物店が本業でその地下室に山下清画伯の原画や複製画が数十点ある。

木曽

木曽谷は地方情緒がある。年にもよるが5月連休前後が点在するの花の季節だし、若葉の季節も、夕日に映える紅葉の山も情緒がある。

JH長野道の塩尻ICで下りて国道19号線で木曽を目指すと、ブドウ、リンゴ、ナシなど塩尻の果物畑を通る。季節にはもぎとりも即売もある。その真ん中の桔梗ケ原という交差点を北に折れたところに「いづつワイン」「五一ワイン」という2つのワイナリーがあり、前者は地下のワインセラーを見学させてくれる。ともに最近では東京でも販売し有名ブランドになりつつある。

塩尻市から木曽郡に入る境界の道路の右側に「是より南木曽路」という長野図書館長筆跡の石碑があり、しだれ桃が咲く季節には絵のように美しい。同様に木曽路の南の端、中津川市との境界には「是より北木曽路」の石碑がある。こちらは道がいくつもあって迷い易いが、馬籠の坂を下ってそのまま進む旧道を数km行けば左側にひっそりとある。こちらは島崎藤村の筆跡である。悪筆の人も安心して眺められる親しみやすい筆跡である。

木曽路に北から入って最初の観光スポットは贄川(にえかわ)に復元された関所である。さらに南下すると漆器の町平沢がある。町全体が漆器の店ばかりである。国道沿いの店は大きくて買いやすい。町の店は情緒があり、値段は高く付けてあるが負けてくれる。

平沢の南に宿場町の町並みを保存している奈良井宿があり、中山道の一部としての木曽路の雰囲気を味わうことができる。奈良井宿はその南にある鳥居峠の麓の宿場町として栄えた。木曽路は実はこの峠で2つの谷に分かれていて、北側は贄川が北に流れ、信濃川となって新潟に注ぐ。南側は木曽川で名古屋に注ぐ。昔は険しい峠であったに違いないが、今はトンネルで通過する。

鳥居峠の南の町は薮原で、上高地方面への分岐道に入って河原に出たところに伝統の薮原の櫛(くし)の店と見学できる工場がある。

木曽福島は歴史と風情のある町である。山村代官屋敷、復元された関所跡、藤村ゆかりの旧家の高瀬家、興禅寺の石庭などがあり、少し山に入ると御岳山の麓に御岳神社がある。

寝覚の床という面白い名の渓谷美が上松町にある。巨岩の間を川が掘り込んだ地形である。

木曽路の南端には妻籠・馬籠という2つの復元保存されている宿場町があり、木曽路の中では一番よく保存されている。馬籠には島崎藤村が9歳で上京するまで居たという生家や資料館があり、妻籠では藤村の初恋の相手が嫁入りしたという脇本陣の見学ができる。本陣も再建された。藤村の「夜明け前」を読んでみると馬籠や妻籠のことが詳しく書いてあり、この小説が実話であることが分かる。

甲府周辺

中央自動車道を東京から西行すると大月ICの7km手前に渋滞情報で有名な猿橋バス停がある。旧道を行けば緑濃く紅葉も美しい桂川に掛かる木製の橋がある。6-7世紀の推古天皇代に、猿が自分の体を橋にして仲間を渡す猿橋を参考に百済人が構築したという伝説がある。少し西で中央自動車道は武田氏の出城があった岩殿山という岩山の裾をトンネルで抜ける。

奥多摩湖から塩山に抜ける青梅街道411号線で甲府盆地に出る寸前に雲峰寺という古刹がある。古い本物の風林火山の旗となぜか日章旗がある。塩山の盆地に入ると信長に山門ごと火をかけられた僧侶が「心頭を滅却すれば火もまた涼し」と言ったという恵林寺がある。

夏の終わりから秋にかけて中央自動車道勝沼ICを出るとぶどう狩一色となる。10月第1日曜は勝沼中学校を中心にぶどう祭が行われ、無料のぶどうやワインが配られる。ICから北方3kmの独立した丘の上に勝沼町営ぶどうの丘センターがあり、1500円でソムリエのような金属製のワインテイスタを買って地下のセラーに入れば、甲府盆地中のワイナリーからのワインが数百種もあり、自由に味見できる。壁には「おつまみ持込み禁止」と書いてある。ICの近くに山楽が経営するMercien ワイナリーがあり、見学もできる。ワイナリーで一番大きいのはSuntory ワイナリーで、甲府盆地西北の双葉町の山の上にある。甲府昭和IC付近を北上する車から正面の山の上に見える緑のテント数個がその一部である。

甲府盆地は桃の盆地で、4月にはピンクに燃える。短時間に桃の花を楽しむには、釈迦堂PAに駐車して外に出るのがよい。上り線PAの場合は陸橋を渡って下り線側に渡る。下り線PAの上にある釈迦堂博物館は自動車道建設中に発掘された先史時代の土器が中心である。その周辺も桃の花が美しいが、甲府側に50mほど下った石垣の間を南側に登ると、桃畑の中を登る道となる。もっと時間を掛けられるなら一宮御坂ICで下りて県道34号線を2-3km西行した農協やグランドの辺りに用意される駐車場に駐車して桃の花の山に登るとよい。

石和駅から南に1kmほど下った右側に信玄の里(宝石資料館)がある。貴石をふんだんに配置し1.5mの鯉が泳ぐ広い庭を見学した後、屋内の宝石資料館に入るとあらゆる宝石と宝石芸術が展示されている。最後に即売店に連れ込まれ、やや高い正札から大幅に値引いた価格を提示され、最も困難なコースとなる。

全国に無数にある善光寺の内、是非一度は参詣したいのが、本家の長野の善光寺、長野移転までの座所だった飯田の元善光寺(座光寺)、それと甲府善光寺である。信玄が長野から本尊を持ち帰って建立したもので、甲府の北を走る県道6号線沿いにある。因みに本尊は豊臣秀吉が取り上げたが、信玄・秀吉の病死は本尊のたたりと考えた北政所が長野に返却した。善光寺の裏手北西に産業会館があり、地場商品の展示と即売が行われている。6億円の水晶球を初め宝石関係の展示ウィンドウが多く、店員からの圧力なしに鑑賞できる。

甲府市北側の武田神社は武田氏のつつじケ崎館である。この辺りから千代田湖経由で昇仙峡に行く裏道は、甲府昭和ICからの表道が混む場合には便利である。昇仙峡の景観を堪能するには川沿いの道を馬車または徒歩で行くことだが、時間節約のためには昇仙峡有料道路グリーンラインを登り、県営無料駐車場か、それが満車なら更に登った辺りの駐車場で降りて仙娥滝の上下を楽しむとよい。滝の右岸の羅漢寺山の頂上に登るロープウェイがある。昇仙峡から県道7号線を下り荒川対岸の101号線に渡った敷島総合公園近くに信玄庭というレストラン・土産店がある。ここの特徴は水晶加工工場の見学と水晶の装飾品が割安で買える即売店である。

甲府市内の繁華街は、駅前から南下する平和通を500m行き左折して140号線に入った辺りの岡島デパート周辺の南北方向の小道である。平和通から140号線を500mほど東行した所に甲府印伝のトップブランド上原があり、駐車場もある。印伝は鹿皮に漆で模様をつけたもので、ハンドバッグ、財布、名刺入れなどに使われる。平和通から逆に52号線で西行した所に山梨県立美術館があり、ミレーの「種蒔く人」が目玉だが、年を経た絵で全体的に黒ずんでいる。

甲府南ICを降りで直ぐの山の上に見える特異な建物は、印相協会のAlliance(但しありあんすと読ませる)で、印鑑店の出張店が沢山ある他象牙美術館が目玉である。地場産品の即売店も充実しており、印伝のもう一つの店池田商店の直売やワインが割安である。ICから川沿いに140号線を西行すると大きな四角のビルがある。菓子メーカのシャトレーゼで、裏手にアウトレット店があり、洋菓子7個300円など割安の商品に人気がある。甲府南ICを降りて真ん前に大きな駐車場があり、一角に山梨県立考古博物館がある。旧石器時代から縄文・弥生・古墳時代を経て武田氏に至る遺物が分かりやすく展示されていて、その種の博物館としては出色である。もっとすごいのが屋外庭園にある本物の古墳で、この辺りは古墳時代の墓所地区だったらしく、大小数箇所の古墳が保存されている。最大のものは4世紀のもので、お銚子を寝かせた形の前方後円墳「銚子塚」と、それに並ぶ丸い「丸塚」で、古墳を見たことがない人は必見である。中央高速で甲府南ICの西1 kmから南の山裾を見ると古墳が遠望できる。

韮崎ICと須坂ICの間の山側に茅ケ岳広域農道が走っている。明野村が近年観光に注力しているひまわりとコスモスがその時期に咲き乱れる。その中心がフラワーセンターである。

その他

その他の項目の各地は、いずれも八ヶ岳三井の森からの行動範囲ではあるもののやや距離があり、しかもここで少々説明しても追いつかない有名観光地なので大体は説明を省略するが、一部のみ付言することとしよう。

妙義山は上信越自動車道松井田ICで下りるとすぐなので、八ヶ岳三井の森への往路または復路に立ち寄るとよい。八ヶ岳三井の森側は同じく上信越自動車道の佐久ICを利用するか、または9月に入ればコスモスが路肩に続く「コスモス街道」の国道254号線を使うかである。妙義山の奇岩の山容と紅葉を楽しみ、階段の多きを恐れず妙義神社と中之岳神社に登るだけなら短靴でもよいが、もう少し立ち入るなら岩場を歩ける靴と軍手を用意して中之岳神社前に駐車し、妙義山名物の鎖場を伝って第1から第4まである石門をくぐれば(第3はくぐれない)妙義山登山の気分を味わえる。自動車道路から少し入って第1石門をくぐり第2石門の鎖場の前で引き返すなら体力も技術も要らない。

神津牧場はコスモス街道が荒船山を貫く内山トンネルの前後から車で登る。タレント一家の所有ということで訪問客も多いが、本当の牧場で観光向きではない。

上信越自動車道と、中央自動車道からつながる長野自動車道とが出会う更埴は、4月前半に10万本の杏で美しく飾られる。同時にチューリップ畑が咲き揃う。