観望独り言 2013年1月〜12月2016年4月〜 

天候は、所沢の自宅の19時から24時頃までの大まかな様子です

  2020/06/15   1年ぶりの更新です。 観望独り言は4年ぶりの更新です。
昨年4月不注意から脊柱管狭窄症を発症し薬物治療を受けていましたが改善せず7月に入院手術治療を受け数ヶ月で回復しましたが、体力の衰えは如何ともしがたく落ち着いて観望生活に入るには1年掛かりました。
   
  2016/03/29  本日、安全保障関連法が施行されました。

それでも安心して天体観望が続けられるようにしたいものです。
   
  2015/09/19   今朝02時09分 参議院にて 安全保障関連法案が一括可決されました。
日本丸は大きく面舵を切りました。

1943年私が小学4年生の時(当時は国民学校)将来何になりたいか、と言う調査がありました。
第2次世界大戦(日本では大東亜戦争)戦時中でしたのでほとんどの人は陸軍大将、海軍大将、予科練習生、等と書いていました。
小学校でも軍国主義の教育がなされていたので当然ですが、私は天文学者になりたいと書きましたところ、
名前は公表されませんでしたが当時担任のI先生から、この戦時下にとんでもない考えの非国民が居ると私を睨み付けながら怒鳴られました。

今日では間違ってもこのような事は無いと思いますが、教育も時の為政者が操作することに成らないようにと思います。
安心して天体観望が続けられるようにしたいものです。

平和憲法を守るためには個々人は選挙で意思を表示するしかありません。棄権は意思表示にはなりません。

子や孫の時代に悲惨な戦争は経験させたくはありません。
平和ほど大切なものはありません。
みみずの戯言と思われても書きたくなりました。
   
2014/08/15 このところ観望独り言を書くのが億劫になりました。

今日は第2次世界大戦(大東亜戦争)敗戦の日69回目(終戦記念日)です。

当たって貰いたくない予測が当たりつつありります。

人間も含め生物が自然の中唯一生存できる星が地球だけなのです。
その地球の中で人間はなぜ争わなくてはならないのでしょうか?大国と称する国が覇権を握ろうと陣取りゲームのように
地域でなぜいさかいを起こし殺戮を繰り返してゆくのでしょうか?

我が日本には成立の経緯はともかく立派な平和憲法があります。ここ69年間平和な時間が過ぎていました。
戦争の悲惨な経験のない為政者達が解釈の変更を行い集団的自衛権を採択(閣議決定)をしてしまいました。
このことが直接戦争に繋がるとはとは思いませんが間接的には危険なことです。

子や孫の時代に悲惨な戦争は経験させたくはありません。
平和ほど大切なものはありません。
みみずの戯言と思われても書きたくなりました。
2014/03/18 気まぐれに書き込みました。本日関東地方に春一番の風が吹きました。
今年も花粉症に罹り目はしょぼしょぼなぜか耳がかゆいです。

2013/11/16
所沢市内の
自宅にて
  光害の酷い自宅〔所沢〕で今朝(11月16日)に写した
アイソン彗星 C/2012 S1です。
300mm F2.8→5.6 EOS60D ISO=4000 EXP=20sec x 30
約1/5にトリミング

アイソンは太陽に最接近した時に蒸発し消滅したという報道が流れましたが(2013/11/29)
下記サイトによるとしぶとく生き残っているようです。(2013/11/30)形は変わっていますが
観望できる数日後が楽しみです。

12月9日早朝観望しましたが残骸も観る事は出来ませんでした。
宇宙では予測できないことも数多くあることを知りました。

 
2013/08/15 記す  今日は第2次世界大戦の敗戦の日ここ数年この日になると何時も同じ事を思い出します。
1999年の独り言と同じなのです。
この頃は歳のせいか愚痴が多くなりました。

時の為政者の意向で戦争に駆り立てられた一般市民は真実を知らされないままに亡くなって逝きました。
大国の動きに引きずられ、知らず知らずのうちに忌まわしいことに巻き込まれてゆくのでしょうか。
私の思い過ごしだと良いのですが・・・

最近の様子を見るとなにやらきな臭いがするのですが・・・
外交の重要性をひしひしと感じるこの頃です。

1999/08/15 (日) 曇り

 今日は敗戦記念日、私にはあの忌まわしい第2次世界大戦の敗戦の日であり忘れることの出来ない思い出がさらに焼き付けられる日なのです。
 幼いときに父を失い生計の中心であった3人の兄はは徴兵され、一人はフィリッピンで戦死、一人はシベリアに抑留され後に病死、帰還した兄もぼろぼろの体で帰国しました。
 東京にいた母と姉と私は連合軍(主としてアメリカ空軍)のB29による無差別絨毯爆撃で2度も戦災にあい住む所も無く焼け跡での生活をするしかありませんでした。
そんな焼け跡にもアメリカ空軍のグラマン艦載機が機銃掃射で撃ちまくるありさまでした。
 周囲の民間人で終戦を待たずに命を落とした人を数多く知っています。
幸いにも私は生き長らえる事が出来ましたが、戦後の暮らしは現在では想像も出来ないほどの酷さでした。
今はやっと平凡な生活を送くることが出きる様になりました。
争いの無い平和な社会は大切な物です。2度と無茶な戦争は起こしてはなりません。心に深く刻み付けています。
スナップ写真はこの夏我が家の庭で見つけた空蝉(蝉の抜け殻)の一部です。
皆さんはどうお思いになりますか?

ここ半年以上観望独り言をサボっていました。
ここ数ヶ月体調を崩し先月は風邪をこじらせ回復するのに5週間も掛かりました。
年齢からして無理を出来ないのは判っているのに無茶をしているようです。
今年は観望に適している日が少ないように感じます。
太陽の観望にしても透明度、シンチレーションの良い日に恵まれません。
2013年7月20日 曇り


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