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1999/08/31 (火) 晴れ
今日はもう月末、あっという間の1ヶ月でした。
今月の私の出来事
1 冷却CCDカメラST−8Eのカラ−テスト撮影、夢中で取り組んだけど論理性がなく出直すことにしました。
LRGBフィルターの使用方法を基本から始めなくてはいけませんと考えるこの頃です。
本日RGBフィルタ−のの露出係数をやっと掴みました、今までのものは取り直そう。
2 購入以来疑問であったロスマンデイZ赤道儀の精度が解決しました。
赤経軸に問題点がありK光器に相談すると5年前の購入にもかかわらず適切に対処してくれました。
赤経軸は生まれ変わりノータッチガイドで定格誤差範囲に入ることが出来ました。
3 画像処理用のパソコンを組み立てました。
パーツの性能、品質が、向上し比較的楽に仕上がりました。
Pentium lll 450MHzはストレスを解消してくれます。
1999/08/28 (土) 小雨
28日、29日と埼玉県の都幾川村剣ケ峯駐車場(堂平天文台入口)で飯能天文同好会、戸田天文同好会、草加天文同好会、共催で奥武蔵星祭りが開催されました。
あいにくの小雨模様と霧でとても星空は望めませんでした。
それでもいろいろな方と楽しい話しに花が咲きました。
話題のトップは何といっても皆既日食の情報でした。
夕食は飯天、I副会長はじめ有志の方の力作の3色スパゲッテイの全員会食でした。
ご馳走様でした。
私は都合でUターン、その後は宴会モードに入ったことでしょう。
実行委員の皆さんご苦労様でした。
1999/08/25 (水) 曇り
旧型パソコン改造中にSCSIボードでトラブッてしまい、データの紛失を恐れて改造は中止しケースを購入し1SETとして仕上げました。
Pentium 166MHzからPentium lll 450MHzになるとさすがに快適で満足しています。
画像処理のスピードが改善されます。
併行して処理技術が進歩すると良いのですが記憶力の減退が激しく期待できません。
パーツを集めて組み立てるとリスクもありますが、思ったより安く仕上がりました。
スナップ写真は出来あがったタワー型パソコンです。
1999/08/21 (土) 晴れ
冷却CCDカメラでカラー画像処理を始めると旧型のパソコンだとスピード不足でストレスを感じます。
そこで思い切って改造をすることにしました。
CPUはpentium3 450MHZ メモリーは256MB ビデオカードは16MB マザーボードはSLOT1タイプなのでCPUは600MHZまでアップグレード可能。
これで現在のパソコンの4倍速になる予定ですが、パソコンの組み立て改造はTK80以来やっていないのでうまく行くかどうか判りません。
画像処理のスピードアップのための挑戦です。
スナップ写真はそのCPUとメモリーを取りつけたマザーボードです。
1999/08/20 (金) 曇り
SBIGのST−8Eは個体差が大きいのかかなり性能に差があるようです。
私のは2段冷却で周囲温度ー35℃くらいですが。Kさん所有のST−8Eはー40℃だそうです。
また私のST−8EはNABGタイプですのでブルーミングしまくりますがKさんのはおなじNABGタイプなのにぜんぜんブルーミングをしないそうです。
納得がいかないので、代理店に問い合わせることにしました。
こんな事って有るものなのでしょうか?
スナップ写真はST−8Eの内部です、Eチップのブルーのマークが付いていました。
1999/08/15 (日) 曇り
今日は終戦記念日、私にはあの忌まわしい第2次世界大戦の敗戦の日であり忘れることの出来ない思い出がさらに焼き付けられる日なのです。
幼いときに父を失い生計の中心であった3人の兄はは徴兵され、一人はフィリッピンで戦死、一人はシベリアに抑留され後に病死、帰還した兄もぼろぼろの体で帰国しました。
東京にいた母と姉と私は連合軍(主としてアメリカ空軍)のB29による無差別絨毯爆撃で2度も戦災にあい住む所も無く焼け跡での生活をするしかありませんでした。
そんな焼け跡にもアメリカ空軍のグラマン艦載機が機銃掃射で撃ちまくるありさまでした。
周囲の民間人で終戦を待たずに命を落とした人を数多く知っています。
幸いにも私は生き長らえる事が出来ましたが、戦後の暮らしは現在では想像も出来ないほどの酷さでした。
今はやっと平凡な生活を送くることが出きる様になりました。
争いの無い平和な社会は大切な物です。2度と無茶な戦争は起こしてはなりません。心に深く刻み付けています。
スナップ写真はこの夏我が家の庭で見つけた空蝉(蝉の抜け殻)の一部です。
皆さんはどうお思いになりますか?
1999/08/14 (土) 雨
新画像ですはくちょう座NGC6960網状星雲カラー版です
中央の恒星ははくちょう座52番星4.3等星です。
ST−8E300sec露出でブルーミングが発生してしまいます。
これからは被写体の恒星の等級を考慮して露出時間を決めなければなりません。
ABG付きのが楽かも知れないが感度は高いしいまさら変更するのも難だし、このST−8Eと上手に付き合って行く積もりです。
1999/08/13 (金) 曇り
新画像ですNGC6992網状星雲カラー版です
細かい点では不満がありますが、光害地でこれだけ写れば云うことは有りません。
まだ試し写しの段階ですが、希望が持てます。
1999/08/12 (木) 曇り
新画像ですNGC7000北アメリカ星雲カラー版です。
一寸R画像が強すぎるようです。
ST−8で撮ったときはカラー化できずに疑似カラーにしましたがST−8Eでは高感度になったお陰と
光害カットフィルターのお陰で比較的楽に撮れました。
色調については検討すべき点がありますが、取り敢えず載せました。
曇りのためペルセウス流星群は観られませんでした。
1999/08/11 (水) 晴れのち曇り
今日はヨーロッパ、東欧、中近東、インドにかけて今世紀最後の日食がありました。
今回はインターネットの中継で9地点からの画像を観ることが出来ました。
約3時間パソコンにへばりついて堪能しました。
1995年に観たインド日食がダブってきました。
同好会の会員が4名ほどトルコに出かけています。
中継の様子では晴天だったようです。おめでとう!! いいなあ!
1999/08/10 (火) 小雨
今日はメールとHPの整理で終わってしまいました。明日は日蝕当日インターネットの受信体制は完了、後は回線が重くならないよう希望するだけです。
現地に出かけられた皆さんの成功を祈っています。
1999/08/09 (月) 晴れ
6日目、今回の旅は5泊6日の温泉めぐりの旧婚旅行となりました。
行き当たりばったりの旅の宿は4勝1敗、8割でした。
平均300km/日の行程はやはり疲れました。
今回の収穫は何と言っても龍泉洞の青い深い地底湖と奥入瀬渓谷の清流と晴れあがった空の天の川でした。
次回はもっと楽な旅を考えようと思ってます。
1999/08/08 (日) 晴れ
5日目、今回の旅行はここで帰途に着くことにしました。
ホテルの近くに御生掛温泉自然研究路があります。
火山活動の博物館といった感じで硫黄の匂いが漂い蒸気や熱湯の噴出口、熱泥が1mも積もった泥火山など珍しいものが観られました。
下山途中に火山活動が懸念されている岩手山が北側から観望出来ました。
松尾八幡平I・Cから東北自動車道に入り一路南下です。
一気に福島西I・Cまで下り土湯温泉に宿を探しました。
観光協会から案内された小ぶりの旅館最悪でした。アブは飛び込む夜中にゴキブリが飛び出す。
お客に対する注文や押し付けが多く、旅の終わりの宿としては失格でした。2度と行くことは無いでしょう。
1999/08/07 (土) 快晴
4日目、朝食もそこそこに奥入瀬渓谷へと車を進めました。本来なら散策するのが最高の楽しみ方なのでしょうが、二人とも足が衰え自身が無いのでビュウポイントを選びながら車を止めすこしづつ散策しました。
想像していたとうりの景観で充分に堪能しました、秋の紅葉の時期は超満員になるのもうなずけるところです。
十和田湖畔の休屋で休憩ししばし思い出に耽りました。
東北自動車道十和田インターの近くに特別史跡大場環状列石OYU Stone Circleがあります、期待していたのですが草ぼうぼうでまったく見えませんでした。その他も工事中で期待外れでした。
さて今夜の宿は高地の温泉宿は無いかと探したところ八幡平温泉郷がありました。
温泉の数20箇所余り旅館は数え切れません。
八幡平スキー場の前にシーズンオフらしく静かなホテルを見つけました。
八幡平高原ホテル、もちろん温泉付きです。当日の宿泊客は160人収容でたった8名でした。
夕食後ふと空を見上げると夕暮れの中早くも星たちがきらきらと輝き始めています。
そうここは標高約1000mそれに快晴、同宿客を巻き込んで観望会となりました。
機材は50mm7倍の双眼鏡と三脚のみですが、これが威力を発揮しました。
アルビレオ、色まで識別できます。M13確認できました。M57だめでした。
そうこうするうちに天の川が流れ始めました。家内は終戦時の焼け跡で見た時以来だと感に入っていました。
M7が花火のようにきらきらと輝いていました。M31が上がってきました、高度が低いのでやっと見えました。
透明度は良かったのですがシーイングはいまいちでした。
それでも今年に入って始めてみた奇麗な星空でした。
1999/08/06 (金) 晴れ
3日目、盛岡市から455号線を早坂高原を経由して約2時間龍泉洞へ到着しました、龍泉洞は山口県の秋吉洞・高知県の龍河洞とともに日本三大鍾乳洞といわれています。
今日は外気温は33度だが洞内は15℃前後温度差18℃は快適でした。全長は5kmに及ぶとか湧水によって形成された水深120m透明度41.5mのエメラルド色の地底湖は圧巻でした。
ここで家内と相談、38年前新婚旅行に奥入瀬渓谷と十和田湖を計画したけれど諸般の事情で行かれなかったのでこの際まわって見ようとゆうことになりました。
そこで太平洋側に出て北山崎、久慈市経由で八戸市と足を伸ばしました。
今夜の宿をと八戸駅の案内所へ向かう途中に嬉しい旅館を見つけました。
広広した駐車場の真中に立つ駅前温泉旅館、木賃宿風で惹きつけられてしまいました。
1999/08/05 (木) 晴れ
2日目、旅に出るといつも寝ぼすけの私も早起きになります。
最初の目的地が決まりました。家内の希望で岩手県岩泉町にある龍泉洞です。
となると今夜の宿は盛岡市近辺になります。
菅生P・A 前沢S・A 矢巾P.A と休みながら盛岡市へ、今夜も温泉に決めました。
地図で探すと繋温泉という変わった名前の温泉が有ります、早速案内所に行ってみました。
繋温泉の由来
今から900年ほど前八幡太郎義家が安倍一族を厨川の柵に攻めるため湯の館山に本陣をしき、義家はその谷間に湧く温泉を見つけ、人馬を保養させたという伝説が残っています。
その時義家がかたわらの石に愛馬を繋いだという、穴のあいた石「つなぎ石」は今も昔のままに有り、これがつなぎ温泉の由来です。 旅館のパンフレットから。
今夜はコスモスの里 盛岡・つなぎ温泉ホテル山翠に宿を取りました。単純硫化水素泉でした。
岩手県では全国高等学校総合体育大会(インターハイ)が開かれており、この宿も学生で溢れていました。
1999/08/04 (水) 晴れ
1日目、今日は予定の無い気ままな旅の始まり、いわば行き当たりばったりの旅です。
荷物をぶる下げて行く自信が無いので家内と愛車のインプレッサで旅立ちました。
それでも方向だけは東北地方と決めました。宿はどこも予約してませんので行きついたところで探すこととして先ずは久喜から東北自動車道へ入りました。
羽生P・A 上河内S・A 安積P・A と休憩しながらひたすら北上、福島松川P・Aに着いたのが16時少し前そろそろ今日の宿をと地図を見れば福島飯坂I・Cの傍には飯坂温泉が有るではないか早速案内所へ、紹介されたのがその北に面した穴原温泉渓苑花の瀬、この4月に開業したばかりとか、ゆっくり温泉に入り夕餉の膳に舌鼓を打ちました。
1999/08/02 (月) 晴れ
ST−8Eで網状星雲の部分を撮りました。5分×2枚でこれだけ写りました。
高価だけれどそれなりの価値があります。
このところ夢中になりすぎて一寸疲れました。
気分転換と静養に家内と予定のない気ままな旅に出かけることにしました。