SYSTEMA by MITO YUKO
ブラックボックス
by MITO YUKO
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その1 実感できないもの
◇ 世の中が段々、複雑になり、情報化が進むほど、増えてくるのが
「ブラックボックス」です。
たとえば、一昔前ならラジオでも、テレビでも、ちょいと開けて
みれば、器用に修繕してくれる機械好きの人が、近所に一人や二人は
いたものです。ところがいまはラジオやテレビを開けてみても、
たくさんのチップスが並んでいるだけで、何が何だかわかりません。
修理にやってくる技術屋さんも「ここの接続が悪かったから」とか
「ここの絶縁体が痛んでいたから」とかいって修理するのではなく、
問題がありそうなところをまとめて交換してゆきます。
◇ つまり、素人にとってはもちろん、その道の専門家にとっても、
ほんとうにどこの部品のどの部分がどのように壊れたかは
はっきりとは見えない。
機械の仕組みは、目で見て、手で触って…と、五感を使って「実感」
するものではなく、そこそこのところを「推理」するものになって
いるのです。
「Xのボタンを押せば、Yという結果が得られる」と
いうような明確な機能はあるのだけれど、その仕組みが実感できない。
これがブラックボックスです。 システムにほんとうに何が
起こっているかを、すべて実感できている人は 一人もいない
ような状況があちこちに現れているのです。
◇ いまは機械の例をとりましたが、機械以外にも、ブラックボックス
はあります。
◇ たとえば、遺伝子操作や原子力発電。
この微小世界で起こっていることが、素人にはどうも実感できない。
遺伝子組み替え食品はすでに食卓に上がっている、首都圏の電力供給の
2/3は原子力に頼っているといわれても、実感できないのは
その仕組みです。
◇ あるいは官僚の使う言葉が一般市民にはわからないというのも、
行政機構が市民にとっては一種のブラックボックスになっているから
です。
それだけでなく 当の行政官も、実はすべてを実感できているわけ
ではないのです。
「その件に関しては○○課の担当ですから…」という言い回しが
必要以上に頻繁に使われるのは、単に行政権限の問題だけでなく、
他の課の仕事が実感できていないから起こる現象です。
現代の行政機構はブラックボックスのあぶくで満たされるほどに
巨大化されているわけです。
◇ 科学者や数学者の使う言葉は、昔から一般人にはわからないものと
相場が決まっていました。
しかし、いまは科学者の間でも、ちょっと専門が違うと、
全く相手の言葉がわからないという状況になっています。
書店に並ぶほとんどの専門書といわれるものは、その道の外にいる
ほとんどの人にとっては、残念ながらただの紙です。
そこに書かれているのは日本語であることはわかりますが、
意味がわかりません。
◇ つまり世の中が複雑になり、分業が進むと、たくさんの数の専門家
ができる。専門家には独特の世界があり、専門家はその世界を実感して
いるのですが、それが外の世界の人々には、実感できない。
それぞれの道ごとの独特の世界が、外の世界にすむ人々にとっては
ブラックボックスと映るのです。
◇ 芸術家の奇妙な言動が、一般人には理解しがたいというのも、
芸術家の独特の世界が、外の世界の人々にとっては一種の
ブラックボックスになっているからということもできるでしょう。
◇ そもそも科学者たちにとっては昔から、社会の仕組みが
ブラックボックスでした。
世の中がその技術をどう利用してゆくかが実感できない。
新技術が世の中をどう変えるのか、どういう幸福をもたらすのか、
場合によっては大変な悲劇を引き起こしてしまうかもしれないことも
実感できなかったわけです。
◇ このホームページでも紹介している通り、
『定刻発車』という鉄道の本を書きました。
この本を書きながら強く思ったのは、鉄道システムは
ほとんどの利用者にとってブラックボックスである点です。
鉄道は、自分たちの生活を支える重要な部分でありながら、
その仕組みが見えない。
それはラジオや時計のように、手に取って自分で操作することも、
ましてや分解して中を見ることもできない。
◇ 集積回路のように小さすぎて見えないのではありません。
鉄道システムは、大きすぎて、人間の五感による把握をはるかに
越えてしまっているのです。
鉄道システムは、北は北海道から南は九州までの日本全国の駅を連ねる
非常に大きな広がりの中で、運営されています。
時間的にも、ダイヤ発表から、ほぼ1年後の改正までの365日にわたる
広がりがあります。
◇ 無理に日常感覚の延長線上でとらえようとすると、今度は
この巨大システムを「誤解」することになってしまうのです。
鉄道組織で行われる努力が、いつも違和感をもって見られる原因は
ここにもあるのだとわかりました。
◇ 現代は微小世界と巨大システムの双方が人々の生活を支えています。
いずれも人間の視覚ではとらえきれないし、
手で触って、その形を実感することもできない。
多くの場合、操作は専門家の手に完全にゆだねられています。
◇ 21世紀は世の中のあちこちにできた大小様々なブラックボックスを、
どのようにして人間が実感できるものへと置き換えてゆくか
を巡って進むように思います。
それは20世紀につくりあげられてきた技術を、
人間の感性でとらえられるものへと、どう翻訳し、そこにどう魅力を
組み込んでゆくかという仕事なのだと思います。
◇ 高度情報社会に求められる「情報技術」とか「ノウハウ」といわれる
ものは、ほんとうはこういうものではないかと思っています。
ブラックボックスの話はもう少し続けましょう。
次回は将棋というゲームをとりあげながら
“永遠のブラックボックス”について考えてみようと思います。
2001.1 三 戸 祐 子
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