大久保っちのちっちゃな研究室〜 ハーバーフェルトトライベン (Haberfeldtreiben)の世界 〜燕麦畑の狩人たち〜
 


大久保っち(おおくぼっち)のちっちゃな研究室

   大久保っちのちょっとした研究     


上田自由大学運動とその社会的基盤

〜上田自由大学設立の過程と自由大学運動の経過を中心に1

 大学時代に卒業論文でとりあげた自由大学運動に関する内容をここでは簡単に紹介したい。なお、「2.研究の目的と先行研究」については、一部本文を改めている。

1.はじめに

  私がこのテーマを卒業論文で選んだきっかけは、大学2年生の頃に、たまたま大学の図書館で読んでいた本の中に、上田自由大学運動について触れた文章にめぐりあったことに始まる。長野で育った私にとって、長野の上田市を中心に大正期を中心にこのような運動が展開されていたこと自体に軽い衝撃を受け、興味を持ち、色々関連する本を探すこととなった。 調べるうちにその運動の全容は、当時の世界の中でも非常にユニークなものであり、その中心的人物の一人として活躍した土田杏村にも強い関心を持ったものである。その論文の中から第一章全体と第二章の一部分の要旨を簡単に紹介したい。なお、30年近く前の研究なので、現在の研究動向を踏まえているものではない。


2.研究の目的と先行研究   (1)本研究の目的

 大正デモクラシー期に上田を中心として展開された自由大学運動は、近代日本社会史上見逃すことのできない運動であり、「はるかに大学拡張の実体を持ち、しかも純粋な民間運動であった点で世界的にも稀少な事例」として高い評価がなされている。しかしながら、こうした特色のある教育運動も大学運営上での財政的危機、指導者内部での思想的対立(特に土田杏村と高倉輝)、中心的指導者土田杏村の死、講座内容のマンネリ化といった原因がもとで、終止符を打たざるを得なくなった。そしてまた、もっと巨視的な観点から見れば、社会的変動があり、具体的には深刻な経済不況(特に養蚕業)による農民社会に対する経済的圧迫、社会主義運動、農民運動への青年達の傾化とファシズムの台頭があり、こういった要素が上田自由大学設立以前の社会的基盤を崩壊させ、自由大学運動の継続を妨げたことが指摘できるであろう。そこで本研究では、上田自由大学設立に至る以前の社会的基盤とその後の社会的基盤とその後の社会変動を関連付けることによって、この運動を終焉に至らしめた根本的原因についての考察を加える。


2.研究の目的と先行研究  (2)先行研究と本研究における分析の視点

 自由大学運動に関する研究は、近年その数は多く、数え上げればきりがない。自由大学研究会を中心として、様々な視点からの諸研究が次々と発表されている。ここでその先行研究についての代表的なものをあげるならば、上木敏郎氏による自由大学運動の中心人物土田杏村の人物研究をはじめとして、宮坂広作氏による自由大学における教養主義についての研究、大槻宏樹氏の自由大学運動における社会教育論に関する研究、稲葉宏雄氏の杏村の教育思想に関する研究、山崎晴彦氏の上田自由大学の設立に至る過程の研究、その他自由大学の生成から消滅に至る過程の研究として、小川利夫氏、山野晴雄氏、上条宏之氏などの研究があげられる。
ここで本研究の分析の視点だが、本研究の中心は社会的基盤の考察にある。この社会的基盤とは、具体的に何を指すか。本研究ではその分析の視点を農村青年の学習意欲と経済的基盤に置いた。なぜならば、社会的基盤の中でも、特に上田自由大学に関しては、その二つの要素が特に重要であると考えたからである。特に経済的基盤に関する研究は、現在されておらず、そういった意味で、本研究はこの経済的基盤に関しての考察を重点的に行いたい。そして、この上田自由大学を生んだ上田小県地域の経済的基盤にある特殊性について追究し、論を展開したい。

2.研究の目的と先行研究    (3)本論文の構成

 本論文では、本論を三章に分けた。第一章は上田小県地域の上田自由大学設立以前の社会的基盤とその形成過程について触れた。そしてその社会的基盤を農民青年達の学習意欲と経済的基盤と、これらを取り巻く大正デモクラシーという社会思潮からとらえてみた。第二章では、上田自由大学の理念とその実際、そして自由大学運動の全体的動きを概観してみた。そして第三章では社会変動の中で上田自由大学設立以前の上田小県地域における社会的基盤がどのようにして崩壊したかについて検討し、同時に自由大学運動を終焉に至らしめた決定的な要因は何かについて考察してみた。以上が本論文の構成である。

  

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