大久保っち(おおくぼっち)のちっちゃな研究室
大久保っちのちょっとした研究
祭りとシャリヴァリの実態とその衰退
〜ヨーロッパの民俗慣習から前近代を考える3
ここに掲載したものは社会科の部会などで発表したものです。社会科部会世界史研究推進委員会で発表した内容の概要です。ヨーロッパの祭りとシャリヴァリの変化から前近代とは何かを考えたものです。 |
民俗慣行としてヨーロッパにおいておこなわれていた「シャリヴァリ」は19世紀に衰退する。ここではこの民俗慣習についてその実態について触れ、検討した
い。まず「シャリヴァリ」とは何かを説明しよう。ここでその全体像をとらえるのによい記述を引用したい。フランス西北部ヴィブレイエの司祭ジャン=バチス
ト・ティエル神父によるものである。
「太鼓や火器、鐘、大小とり混ぜての皿、盥、フライパン、ポワロン(小型の 片手鍋)、大鍋、罵声、口笛、ざわめき、叫び声などで騒音をたてること。一
言でいえばこれこそがまさにシャリヴァリと呼ばれる振舞いであり、新婚者のいずれかがすでに結婚の前歴がある場合、二人が結婚の祝別にあずかって教会から
出たとき、あるいはあるいは挙式の夜や初夜の床入りどきに、このシャリヴァリの洗礼を受ける。それは教会が常に認めてきた再婚を辱めるものであり、結婚の
聖性を冒涜するものでもある。」(『俗信論』より)
このような一文からも察することのできるように民俗慣行「シャリヴァリ」とは若者たちを主体とした地域住民による制裁であり、共同体社会の軌範に逸脱または
違反する者を対象にしていた。具体的にはそれは再婚者であったり、家長としての威厳を保てず、妻に威張り散らされる哀れな夫が対象となっていた。この
「シャリヴァリ」では楽器が奏でられる。いわゆるラフ・ミュージックとよばれるもので、住民たちは手にした様々な楽器を鳴らしながら制裁を加える家へと向
かった。その音楽はどういうものであったのかは想像するしかないが、「言語を絶する大音響」であったことには違いないだろう。楽器の名称がこの「シャリ
ヴァリ」をさす場合も多いことからして、「シャリヴァリ」とラフ・ミュージックは密接な関係がある。
蔵持不三也が指摘するようにシャリヴァリにはいくつかの類型がある。ここでは蔵持氏の指摘する「婚姻シャリヴァリ」「強妻シャリヴァリ」「性的シャリヴァリ」「闘争シャリヴァリ」といった4つの類型について簡単に説明しよう。
再婚者や両者の間に著しい年齢差があるにもかかわらず結婚する者、あるいはその土地の娘と結婚する他の地域から来た者に対するシャリヴァリをさす。例とし
ては、4回の結婚により資産を得ていたラ・リゴンヌ夫人(自称84歳)が五度目の結婚をしたことに対するシャリヴァリがあげられる。相手は40歳下で、
これを知ったバゾッシュ(若者の結社)がシャリヴァリを行なった。
しかし、この老婆が「シャリヴァリ税」を支払わなかったため、 かれらは新居に投石し、家の入口に残飯や牛馬の死骸を置いた。老婆は結局「シャリヴァリ税」を支払う羽目にあった。
妻に張り倒された不甲斐ない夫に対してもしくは時としてその妻をも対象とするシャリヴァリである。夫婦喧嘩を発端とし、地域住民が夫婦間のもめごとに干渉するものである。17世紀末に旅行中のフランス人貴族がイギリスで目撃したスキミントン(シャリヴァリの一種)の報告では、「ロンドンの通りで、一人の女性が男の人形を担わされ」、「シャリヴァリの雑音をたてる数人のならず者が従う」光景をくわしく伝えている。対象となったその女性は「その地区の者で、彼女を姦通したとなじった夫を張り倒した」ということで制裁をうけているのである。
この報告は「強妻シャリヴァリ」と「姦通シャリヴァリ」の両側面をもった例である。夫を打擲したことに対する共同体による制裁という点から見ると、伝統的社会での家父長制という掟を守らせるための行為とみる見方もできるであろう。
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